もう一つの戦・雑兵ども

もう一つの戦『雑兵たちの戦場』

  • 乱暴狼藉、これは戦場の裏側ではない、むしろ、こちらが表と言えよう。大名・侍と言わず、民衆の大概が雑兵となり、食うための戦場へと自らを置いたのであった。 参考『雑兵たちの戦場』藤木久志著より
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  • 食うための戦争・・・「われわれにおいては、土地や都市や村落、およびその富を奪うために、戦いが行われる。日本の戦では、ほとんどいつも、小麦や米や大麦を奪うためのものである。」・・・ ポルトガル生まれの宣教師ルイス・フロイスより

  • 乱暴狼藉「○○勢の通ったあとは、ぺんぺん草一本も残っちゃいない」・・・手柄を立てても、さしたる恩賞にありつけない足軽(雑兵)の稼ぎ場、闇の商人たちの暗躍。いやむしろ低賃金でよく働く優秀な下級兵士たちと、そして利益を還元してくれる、大名お抱えの御用商人の大活躍に他ならない。
  • 雑兵たちの視点に立つと、別の重要な側面が存在した。つまり、「食う(生きる)ための戦争」・「略奪目当ての戦争」ということである。
  • 連歌師の宗長は、永正元年(1504年)9月、武蔵野の戦場の様子を「行くかたしらず二千余、討死・討捨・生捕・馬・物の具充満」と書いていた。また、同14年8月、引馬城の戦いの時も「つゐに敵城せめおとされ、生捕かえこれ千余人とぞきこえし」と記していた。
  • フロイスも戦いの終わった戦場の光景を、「勝利者たちも、過ぎ去った労苦をねぎらおうと、途次見つけた戦利品を拾い集めに行った。それらの中には、金や銀を用いて飾った、豪華な太刀や短剣など、高価な品もあった。」と書いていた。
  • このように、誇張もあるだろうとはいえ、各地の史料からは、戦国時代における大量の人取り(売買目的の拉致連行)が決して珍しくはなく、また侵略する側の大名(味方)から容認(戦役の報酬)されていたことが分かる。

  • 戦場の仕事
  • 夜討(朝駆け)・・・野外が暗くなってから行われる戦いであり、自軍・敵軍とも視界がほとんど得られない環境においての作戦・戦闘行動である。
  • 山立・・・山賊、「さらでだにやまだち多き鈴鹿 (すずか) 山を」
  • 屋焼(家焼)・・・ややき【家焼き】とは。意味や解説、類語。家に火をつけて焼くこと。また、それをする人。 放火。「主殺し、親殺し、―、強盗」

戦場の雑兵たち

  • 雑兵たちが、どのようにして集められ、戦場においてどのように戦ったのかを知りたかった。どちらかと言うと、ひどい扱いを受けて散々な目に合わされたのではと考えていた。ある意味あっていたが、そのほかの相当の意味で間違っていた。日雇い労働者が、仕事を貰い手配士のトラックに乗って現場へ行くような感覚で戦場へ担ぎ出された。生きるための、出稼ぎに過ぎない実態がそこにあったのだった。

  • 戦場の雑兵たち 藤木久志『雑兵たちの戦場』及び雑記帳様より
  • 上杉謙信の場合・・・「食う(生きる)ための戦争」の実例が、上杉謙信の軍勢である。謙信軍の場合、関東出兵は、晩秋に出掛けて年末に帰る冬型(短期年内型)と、晩秋に出掛けて年を越し、春か夏に帰る冬春型(長期越冬型)が多い。このほか、草刈場となった上野の国は、北条・武田の軍勢も同様乱暴狼藉されて荒廃して行った。

①下級の侍分・・・騎乗の武士に奉公し、悴者・若党・足軽などと呼ばれる、主人と共に戦う侍。 
  • かせ者・・・室町後期からみえる従者の一種。侍身分の最下位と思われる。
  • 足軽・・・〔足軽く疾走する者の意〕戦闘に駆使される歩卒・雑兵をさす。
  • 若党・・・若党(わかとう)戦国期には、郎党の中の新しい者、若い者を指す。

下人・・・戦場で主人を助け、馬を引いたり槍を持ったりする者。
  • 中間・・・脇差1つを挿し、時には戦いにも参加し、平時は雑用を行った。
  • 又者・・・将軍・大名などに直属していない家来。又家来。陪臣。
  • 小者・・・小者(こもの)私的武家奉公人。住み込みで主に雑用を行った。
  • あらしこ・・・武家で主に力仕事を受け持つ身分の低い 男子。

③百姓(人夫)・・・村々から駆り出されて物を運ぶ百姓。
  • 夫・夫丸・・・ぶまる【夫丸】〔「丸」は人名などの下に添える語〕 人夫。陣夫。 「中間・-迄よく知つて/雑兵物語
 ※加えて、戦場の商人・山賊・海賊達が雑兵と呼ばれている。
  • ヤシ(香具師)・・・香具師(やし、こうぐし、かうぐし)とは、祭礼や縁日における参道や境内や門前町、もしくは市が立つ所などで、露店で出店や、街頭で見世物などの芸を披露する商売人をいう。また野師、野士、弥四、矢師とも表記する。
  • テキヤ的屋(てきや)・・・縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。娯楽・遊興性が強い人たち。
  • スッパ・ラッパ・・・戦国時代、武家が野武士や野盗であった者を取りたてて使った間者。乱波(らっぱ)。忍びの者。この者たちが、雑兵になって敵陣へもぐりこみ、活躍できそうである。


戦場の村-村の城

  • 戦場の村-村の城 藤木久志『雑兵たちの戦場』及び雑記帳様より
  • では、中世の人々は、このような濫妨、つまり物品の略奪や人取りに対して無力だったかというと、そうではない。中世は自力救済の時代とされている。人々は、自分の安全は自ら守ったのである。中世には、普段から食糧や家財の一部を山間の村や寺社へ預けておく財産保全の習俗が広く行なわれていた。

  • 「城上がり」・・・戦国の城は、その外郭(二の曲輪、三の曲輪)に限っていえば常に領民は言うに及ばず、商人たちにも開かれているものであった。
  • 「山上がり」や「小屋上がり」・・・「城あがり」「山あがり」と並んで、「小屋あがり」という言葉もあった。
  • 「半手」・「半納」・・・半手(はんて)とは、戦国時代において対立する2勢力間の境界付近に存在した両属する地域・郷村、あるいはその状態そのものを指す。
  • 「制札」を買う・・・「制札」とは、一言でいえば村にとっての「安全保証証」であった。

戦場から都市へ-雑兵たちの行方

  • 戦場から都市へ-雑兵たちの行方 藤木久志『雑兵たちの戦場』及び雑記帳様より
  • 社会の底辺に生きていた雑兵たちにとって、戦場は明らかに生命維持装置の役割を果たしていた。戦国時代の戦争は、相次ぐ凶作と飢饉と疫病によって地域的な偏りを生じた中世社会の富を、暴力的に再分配するための装置であった。では、秀吉の統一とその後の朝鮮役での敗北により戦場が消滅した時(関ヶ原役と大坂陣はあったが、もはや恒常的な戦乱状態は訪れなかった)、戦場を稼ぎの場とし飢えを凌いでいた雑兵たちはどこに向かったのだろうか。

  • それは、各地の巨大な普請場(大規模公共事業)と鉱山(16世紀後半以降、技術革新によりゴールド・シルヴァーラッシュが起きた)であった。


エピローグ-東南アジアの戦場へ

  • エピローグ-東南アジアの戦場へ 藤木久志『雑兵たちの戦場』及び雑記帳様より
  • 稼ぎ場を失った雑兵たちの行き先は、「国内」の巨大な普請場と鉱山だけではなかった。既に戦国時代より、「日本人」は奴隷・傭兵として東南アジア(だけではないようだが)に売られていったが、「国内」の戦場の閉鎖と西欧諸国の植民地争奪戦の激化により、16世紀末以降それは盛んになった。日本は西欧諸国にとっての戦略拠点・兵站基地となり、武器・奴隷・傭兵が東南アジアに渡っていき、植民地争奪戦で大いに活躍した。山田長政は実在しないそうだが、無数の「山田長政」が存在したのである。

  • 最終更新:2016-01-27 18:06:34

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